May 26, 2010
私が中学生の頃に学んだ家庭教師について
私は中学生の時、家庭教師に数学と英語をガルチョダルラとしました。この教師は有名大学出身の教授法が非常に上手なうえに姿良かったのだが、残念ながらユーモアがなかったので、3ヶ月くらいで飽きてしまい、他の先生に変えてくれました。今思えば、この家庭教師の先生は教え方をジャルヘトギので、続けていれば私の成績も良くなったと後悔しています。塾講師の私は20年ほどしていました。非常にやりがいのあることだと思っています。子供たちの成長を直接見ることができます。ことができなかったようになった時はとても嬉しいです。また、中学3年生の進路指導をし、人生の岐路に立ち会えるのも良いものだと思っています。合格した時は涙を流して喜んでいる姿を見ると、塾講師としての使命を果たしたと考えています。
青森県八戸市などで26日から開催される第66回国民体育大会冬季大会(結集!はちのへ国体)に出場する選手団36人が13日、発表された。
出場選手は、スケート競技のフィギュアの成年男子2人、ショートトラック成年男子と同女子各1人▽アイスホッケー競技の成年男子16人。アイスホッケーは2年ぶりの出場。神奈川県代表との初戦に臨む。
旗手は、ショートトラックに初出場する若桜町出身で大阪経済大2年の厨子龍太郎選手(20)=写真=が務める。
結団式は16日、鳥取市布勢の県民体育館で行われる。【田中将隆】
1月14日朝刊
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第67回ぎふ清流国体スピードスケート競技会のリハーサルを兼ねた「JOCジュニアオリンピックカップ第34回全日本ジュニアスピードスケート選手権大会」(日本スケート連盟主催)が12日、恵那市武並町竹折の県クリスタルパーク恵那スケート場で始まった。14日まで、男女とも総合、スプリント、チームパシュートの部門で熱戦を展開する。
国内のトップジュニア(14〜19歳)が参加する大会で、世界ジュニアスピードスケート選手権大会の代表選手選考も兼ねている。歴代優勝者には、バンクーバー五輪に中学生として参加した高木美帆選手、同五輪銀メダリストの田畑真紀選手、小平奈緒選手がいる。
初日は時折、小雪がちらついたが、リンクの状態は良く、総合女子五百、同男子五百、三千、スプリント女子五百、千の競技が行われた。スタンドには、全国から駆けつけた各校応援団が陣取り、息を真っ白にして声援を送っていた。
13日は午前9時から総合女子千五百など7種目、14日は男女チームパシュートなど6種目が行われる。恵那駅からシャトルバス、JR武並駅からシャトルワゴンが無料運行している。【小林哲夫】
1月13日朝刊
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東京武道館(足立区)で昨夏に開かれた第46回和道流空手道連盟全国大会で、平塚市立相模小6年生の角優理さん(12)=同市大神=が「組手」の部で優勝した。12日に平塚市役所で、大蔵律子市長を表敬訪問し「将来は国体に出場して優勝したい」と夢を語った。
同大会は昨年8月21日と22日に全国の強豪約千人が参加。角さんは5・6年生女子の部で約50人のライバルたちと実力を競い合った。組手は1分30秒の間に相手に有効な突きやけりを繰り出してポイントを争う。初参加した一昨年は一回戦敗退だった。雪辱を期して挑んだ角さんは左利きの利点も生かし、得意の逆突きなどで次々と勝ち進み、念願の全国制覇を果たした。
兄の影響で6歳から市内の道場に通い始め、めきめきと上達。週3回の練習も「つらいけど楽しい」と笑う。「もっと練習してさらに強くなりたい」と意気込んでいた。
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【もう一度プレーボール】(1)
甲子園のアイドル・荒木大輔(現ヤクルトコーチ)が注目された1982年11月のドラフト会議で、もう一人話題を集めた投手がいた。
中日が3位指名した社会人・電電関東(現NTT東日本)のエース、市村則紀(のりお)は当時30歳。ドラフト制導入後、最年長の指名選手にはすでに妻と子供2人がいた。安定したサラリーマン生活を続けることもできたが「一度はプロでやってみたい。挑戦したい」と入団を決めた。
身長169センチと小柄な左横手投げは、左打者の内角へ食い込むシュート系の球が持ち味だった。異色の新人は社会人最後の年に覚えた打ちごろのコースからすっと沈むフォークも使い、プロ1年目から中継ぎで活躍。真ん中から外寄りを巧みに流し打つ巨人の左打者・篠塚利夫(現・和典)は徹底した内角攻めで抑えた。「篠塚は僕を見ると嫌な顔してましたね」
4年目のシーズン開幕直前の86年3月、パの西武へトレードされると、東洋大で1年下だったロッテの落合博満(現中日監督)との対決が待っていた。「後輩には打たれたくない」。この年3度目の三冠王に輝く強打者を意地の投球で5打数1安打と抑えた。
「先輩が(マウンドで)にやけてるから、その気になれないんですよ」とぼやいた落合は翌87年中日へ移籍。1年だけの“落合キラー”で終わった。
西武の3年間は計75試合に登板。86年には広島との日本シリーズのマウンドも踏むが、36歳の88年オフに戦力外通告を受けた。「中日最初の背番号(37)の年齢までは現役でいたかった」
引退後は1年間古巣の中日でスコアラーとして働き、神奈川でサラリーマン生活に戻った。長男の所属するリトルリーグなどでコーチを務めていたが、不惑を過ぎて再びマウンドに登るチャンスが訪れた。
96年に軟式の選手としてアマチュア復帰し、旧電電公社の仲間らとチームを結成。中学以来、約30年ぶりに握る軟式ボールだったが、しっくりと手になじみ、「いい感じで投げられました」。
98年、「かながわ・ゆめ国体」の成年1部壮年(40歳以上)に地元神奈川代表として出場。老練な46歳は準決勝で完投、決勝で救援とフル回転で優勝に貢献した。
元プロ投手には抑えて当たり前のプレッシャーもあったが、「コントロールを重視し、気持ちで投げた。相手も、元プロとの対戦を楽しんでくれましたね」。プレーする喜びを再認識できた。
30歳でのプロ入りを今は「もう破られない“記録”でしょう」と振り返るが、後悔はない。「遅咲きだったが、最高のレベルでプレーできたし、足跡も残せた。幸せですよ」。来年還暦を迎える男はにこやかだった。=敬称略
華やかなプロ野球の世界へ飛び込んだ選手たちにもいつかは引退のときが来る。現役に別れを告げたあと、新たに進むべき道や生きがいを見つけ、輝きを取り戻した男たちを紹介する。茨城の中古バイクをお探しなら!
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